FC2ブログ

ちんたら息子の母親介護日記

自分の親は自分で看るべしと思い立ち、妙齢のご婦人たちと涙の別れをして('∀')、還暦を機に、首都圏から故郷の松江に 「介護単身赴任」。
老母をめぐる出来事や日々の暮らし……人生いろいろ綴りたい。
ちんたら息子の母親介護日記 TOP  >  身辺雑記 >  チャチャが死んだ(涙)

チャチャが死んだ(涙)

身辺雑記(1)

 飼っていた猫が1月10日に死んだ。享年19歳。

 2、3ヶ月前から耳が聞こえにくくなったようで、ウオ~ンウオ~ン、激しく甲高い変な鳴き声をするようになっていた。
 1ヶ月前から急に弱わり始め、毎日「猫ベッド」に湯たんぽを入れてやるようになった。
「猫は死に目を見せない」。もう外からから戻ってこないのではないかといつも気にかけていたが、朝4時ぐらいにはウオ~ンウオ~ンと鳴きながら、いつも戻ってきていた。

 1月2日、少しばかり高いところから飛び下りたところ、こけた。
 猫がこける。
 歳(よわい)何十年、初めて見る光景であった。
2008_0907画像0363
 松江に戻る前、埼玉の仕事場での写真。

 こけてから急激に衰え、寝たきり状態になった。
 垂れ流し状態。
 食べるものはほんの少しばかり。奮発して好物の刺身をやっても2、3切れだけ。
 スト-ブをつけっぱなしに。でも3時間で自動消火となるので、夜中に起きてスィッチを入れ直していた。寒くなると、弱弱しい声で鳴いた。
 1月7日からは水も飲まなくなった。反応もほとんどなくなったが、それでも3日間は呼吸をしていた。
 獣医に頼んで安楽死も考えた。

細は省くが、チャチャはさいたまの仕事場の押し入れで生まれた。
 それから13年間、さいたまで育った。
 ガラス窓の一角(15センチ四方)を開け、出入り自由。彼女にとって「さいたま市南区白幡6-15-1」周辺は、寝ぐら兼生活圏であった。雀(しょっちゅう)やネズミ(ときたま)や高級そうな金魚(1度だけ)を口にくわえて、寝ぐらに戻ってくる。往生した。

 介護単身赴任にあたって、小生の生き方もさることながら、最大の問題はチャチャの引越し。新しい環境にいかに順応させるかにあった。
 まず事前に、実家にも出入り自由な一角をつくる必要があった。ガラス屋さんとの打ち合わせを含め、松江までの往復は3回に及んだ。(大出費、泣き)
 移動も大変だった。
 飛行機は、エンジンそばの荷物置き場に「荷物として置かれる」ので、トラウマになる。そう聞いていたので、スル-。

 となると、一番カンファタブルなのは、夜行寝台列車の個室となる。なぜなら、同じ空間にいて他を気にせず、ずっと声をかけることができ、精神を安定させることができるから・・・。
 ところが、実際は実に大変であった。
 仕事場⇒京浜東北線南浦和駅⇒東京駅⇒夜行寝台(サンライズ)⇒松江駅⇒自宅
 
 ものすごく奮発して、寝台は超高級部屋。何度も利用したことのある寝台個室だが、超はすごい。妙齢のご婦人が3、4人いても大丈夫というお部屋。 
 ところが、ガッタンゴットン、ガッタンゴットン。チャチャはずっと泣きっぱなし。オイラも一睡もできずイライラうつうつ。

ャチャはなんていうのかなぁ、「介護単身赴任仲間」というか。
 母もエサやりをやっていたから、刺激になったことは間違いない。「チャチャ」と呼べば、どこからかあらわれ、母のそばにやってくる。
 ヘルパ-さん、ディケアの送り迎えの介護職員さん、訪門リハビリさんとも仲良くなっていた。

 そんなこんなで、手厚く葬った。
 仏壇の前に、遺影と遺骨と菊の花と好物。
 人間界の儀式でいえば、初7日はもう終わった。

常心が乱れることはないはずの小生だが、悲しいというより、空虚感をときたま感じる。生から死への過程を1日24時間、まる1週間以上、連続線上で目撃したせいだと思っている。かぶる。

味深い記事だと思われた方は3つのバナーをクリック!
にほんブログ村 介護ブログ 親の介護へ    
関連記事
スポンサーサイト
[ 2018/01/22 19:35 ] 身辺雑記 | TB(-) | CM(0)
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する