前口上(3) 前回の記事に反応がありました。
●医療・福祉・介護関係者がミタ裏日記
●「ある介護ブログを読んで思ったこと」
●https://ameblo.jp/seven-grassa-herb/
直接は関係ありませんが、相続税の40年振りの改正で「息子の嫁と介護」のことが話題になっていますね。
母の介護のために帰郷しようと思ったのには、父が早くに亡くなったという事情もあります。
私が大学1年生のとき、母は48歳でした。それから母はずっと1人暮らし。最後は生活のサポ-トをしてもいいのではと強く思うようになっていました。
直接的なきっかけは、銀行から引きおろしたお金が紛失した-と、ちょっとした騒ぎになったこと、もう1つは私がたまさか帰省したとき、ガスの消しわすれで、ヤカンが黒こげになったこと。
前者の騒ぎのとき、ケアマネさんから「今後はどうされますか」と質問されました。(このときは「要介護1」だった)
より深刻なのはヤカンの黒こげでした。一度だけでしたが、でも、夜、母がヤカンに火をつけたままにした場合、どうなるのか。母は「鼻がず」(出雲弁〓鼻が臭わない)です。クサヤを近づけても無反応だった!(°_°)
選択肢は3つしかありません。
(1)埼玉の浦和に呼び寄せる。
(2)特養など老人ホ-ムに入居してもらう。
(3)俺が田舎に戻る。 <他にあるでしょうか?>
(1)は一見親孝行のようですが、実は“虐待”です。なぜなら、
浦和の家の外は「見知らぬ世界」だからです。挨拶を交わす人はゼロ。必然的に、あてがわれた部屋で過ごすようになり、(楽しみは水戸黄門ぐらいか)、急激にボケる(そうです)。そうなると、家庭内トラブルになります。場合によっては
近所の老人ホ-ムに入れられるということになります。
実際に、このコ-スをあゆんだ家族のことを知っています。
確か老父だった。都会に住んでいた心優しき子どもは急激急速にぼけた父親を老人ホ-ムに入れざるを得なくなって、戸惑っていた風でした。(母への年賀状より)
では、(2)はどうでしょうか。
ここで考えなければならないのは、
自分が老人になったとき、老人ホ-ムに入りたいか-ということなのです。
「己の欲せざる所は人に施す勿れ」(論語)
孔子が弟子の子貢に「一生守ることができる徳目はないでしょうか」と聞かれたときに、「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施す勿れ(それは、思いやりというものだ。自分がして欲しくないことを、人にするべきではない)」と答えた。
ある博識家に、論語の話をしたところ、キリスト教でもヒンドゥー教でもあるよ、と教えてくれた。
イエス・キリスト 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(『マタイによる福音書』7章12節,『ルカによる福音書』6章31節)
「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」(『マハーバーラタ』5:15:17)
子細は省きますが、埼玉県さいたま市の特別擁護老人ホーム(元
公立系)にいる入居者を何度か見舞ったことがあります。同室の80歳ぐらいの老女の様子を見て、心底驚いたことがあります。
「家に帰りたいよ~、帰りたいよ~」 ずっとうめくようにわめいていました。繰り返し繰り返し繰り返し。耳を塞ぎたかった。
新聞記事の情報ですが、どこかの団体のアンケ-ト調査。介護職員に「老後を特擁で送りたいですか」という問いに圧倒的多数が「ノ-」。
重要なことなので繰り返しますが、
老人を世話をしている老人ホームの職員が、自分の老後は老人ホームで過ごしたくない!というのです。
職員の老人への暴力、平手打ちは日常的だと、知人職員に聞いたこともあります。
しかしながら、
老人ホームがベタ-という場合も少なくないとも思います。家族同士がギクシャクし、みんながストレスを抱えるようになった場合。老親は施設に入って、心優しき職員に支えられ、精神が安定した(問題行動がなくなった)といった報告もなされています。
(1)の場合でも同じ。問題なのは、都会に呼ばれた母親の環境をどう事前に整えるか、だ。
母の関心は書道、百人一首だ。浦和に呼んだとき、すぐにその種の団体・サ-クルにつなげることができるかどうか。うちの場合は部屋がなく、呼ぶとすれば、少し大きなところに引っ越すしかない。それは無理だ。
で、俺は(3)が一番、いいと思った。
妙齢のご婦人方と別かれるのは辛くとも。(。-_-。)
でも、誰にとっても介護単身赴任の方が犠牲が少ない。
*前回の記事は
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