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ちんたら息子の母親介護日記

自分の親は自分で看るべしと思い立ち、妙齢のご婦人たちと涙の別れをして('∀')、還暦を機に、首都圏から故郷の松江に 「介護単身赴任」。
老母をめぐる出来事や日々の暮らし……人生いろいろ綴りたい。
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目と耳-88歳⇒95歳

老いる:肉体偏(12)

 目はこの7年間で、あまり変化なし。40代の頃に網膜剥離をやった後遺症で、物がゆがんで見えるようだが、日常生活に支障はない。

 耳には変化があった。
 4、5年前だったか、テレビの音が大きくなっていることに気がついた。
 母-小生-テレビという位置関係ゆえ、母には「適音」であっても、小生にはものすごく大きく聞こえる。兄が帰省したときにも同じことを言っていた。
 そんで耳が遠くなっていることが分かった。
 といって、補聴器を必要とする程のことではない。nanchou_obaasan2.png 

 95にもなれば、耳は遠くなる。どうちゃうことはないのだが、これが意外とストレスになるのだ。
 小生の舌は短いらしく、耳元で愛を囁くには良くても、ふつうに聞くにはロレっているようである。
 でも、ふつうの人なら許容範囲で、「しっかりしゃべろ」と注意されたことはあまりない(小学校の先生に2、3度はあったと記憶するが)。

 ところが、母にとっては子どもの声であっても、より聞きづらくなったようだ。
「パンツをおろしたら声をかけて、タオルをもっていくから」
は~~~、なにいちょうか、聞こえん。
 再度、今度は焦った早口で、「パンツをおろしたら声をかけて、タオルをもっていくから」
 聞こえたという反応がない(泣
 そんで、少しばかりゆっくりと、大きな声で。
「パンツをおろしたら声をかけて、タオルをもっていくから」

 これが何度か続けば、イラつく。
 ふつうの親子の会話ではなくなるから。

 で、訪門リハビリの方や、デ-サ-ビスの迎えの人との声を注意して聞くようになった。
 なんと、ゆっくりと、大きな声で、語りかけているのだ。やはり、訓練されたプロなのだ。
 もちろん、バカにしたような「~~ちまちょうね」などの幼児言葉は使っていない。

 で、小生、反省した。
 いつもよりゆっくりと、大きな声で、話すようにしてみた。
 しかしながら、母は小生にとって入所者でもなければ利用者でもない。母は母なのだ。
 いつも「ゆっくり大きな声で話す」のは、詩吟の鍛錬じゃなし。やはり苦痛である。
 といって、「なにいっちょうか、聞こえん」と言われるのもストレスが生じる。

 結論!いずれ馴染んでいく。

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[ 2018/04/23 14:15 ] 老いる:肉体編 | TB(-) | CM(0)
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